私は月に1回、実家に帰るようにしています。それには理由があります。
帰るといっても、同じ県内なのですぐ帰れるわけですが。
家族構成
私は3人兄弟の一番上で、下に妹と弟がいます。弟とは11歳離れており、昔は親に間違えられたこともありました。母も父も存命で、父は70過ぎですが、自営業でまだ頑張って働いています。
月1で実家に帰るようになったのはちょうどコロナが広がり始めた2020年頃からで、家の問題が表面化し、どうにもならなくなってきたからなのです。
母のこと
糖尿病発覚
母親は糖尿病で、分かったのは2010年頃(母がまだ50代前半の頃)です。
母親は専業主婦で、健康診断等はずっと受けていませんでした。足の傷がずっと治らず、それを隠していた母親を無理やり病院へ連れていき、検査してもらったことから発覚しました。
母親自身はおかしいと思っていても、その原因を知ることが怖くて、自ら病院へは行かなかったのだと思います。よくある話ですが、怖くても何でも、定期的に健康診断や人間ドックを受けておくべきだと痛感しました。
その後、目やら足やらずっと悪かったのですが、何とか通院で持たせていたところ、2020年頃ついに状態が悪化し、片足を膝から下で切断しなければいけなくなったのです。
片足切断へ
糖尿病の合併症でよく症状として、目、腎臓、神経が悪くなるという特徴があります。放置しておくと失明したり、透析が必要になったり、傷が治りにくくなったりといったものです。
そして母親も例外なく、目が悪く、傷の治りが良くないです。
少し良くなっては悪化し、そしてまた少し良くなってと、糖尿病発覚以来、完治していなかった足の傷。そんな状態でついに傷口から菌が入り、骨まで達し、放置してしまうと全身に回り、最悪命の危険もあると言われました。
ちょっとショッキングな出来事ですが、これも糖尿病ではよくある話で、受け入れざるを得ない状況でした。何ならこれで済んだのがまだ良いくらい。
足を切ってしまうと当然これまで通りの生活はできないのですが、母親は当時まだ62歳。まだまだ若いのでこれから先の生活をどうするかも合わせて考えなければなりませんでした。
義足生活へ
足を切断すると決めたとしても、この先の生活のことも考えていかなければいけません。
足を切断した病院の先生からは義足はおすすめしないと言われていました(義足を付けたところで擦れて新たな傷ができてしまい、さらに切断しないといけない事態になってしまう可能性があるため)。
ただ手術後に転院した先の病院の先生からは、まだ若いし、手術した先生が言う通りデメリットはあっても、本人にやる気があるのであれば義足を試してみてはと言われました。
先生により言うことがばらばら、どうすればいいか迷いましたが、結局これから先の生活のことも考え、義足にチャレンジすることになりました。
ただ糖尿病になってしまっている事実から分かる通り、もともと動くのが億劫に感じてしまうような人で、リハビリ等も大変で、結局足の切断から義足作成、リハビリ、その間の1回の転院も含めて、家に帰ってくるまでに9か月ほどかかってしまいました。
その間に障がい者認定のための申請や障害年金の申請、介護保険適用の申請、ケアマネージャーとの打ち合わせ、自宅の改修等、やることがいっぱいあり、ちょうど良かったかもしれません。
結局、母親が退院するまでは、私自身も毎週末実家に帰り、あれやこれやとやる生活が1年くらい続きました。
退院後の生活
もともと母親は外に出るタイプではないので、このままでは運動不足になると思い、週に2回、リハビリに通っています。
家ではほぼ車椅子。それでは義足はいらないのでは?と思われるかもしれませんが、車椅子だけだと生活するのに大変です。
移動はできますが、トイレで便器に乗り移ったり、台所で調理したり皿を洗ったりするのに立ち上がる必要があります。病院へ行くのに車へ乗ったり、車椅子へ乗り換えたりと、自身で動けないとこちらで抱えてあげることになりますが、体重が重く、それは困難です。
結果的に、義足を作って良かったと今は思っています。ただし残った片足も傷があり、それが悪化すると両足切断ということになりかねません。そのため注意して生活しなければならず、油断はできない状況です。
妹のこと
登校拒否から引きこもり
先ほど妹と弟がいると書きましたが、その妹は高校を中退しており、それ以降ずっと引きこもりです。もともと登校拒否児で、小学生の時から学校に行ったり行かなかったりを繰り返していました。
ただ、中学卒業までは同い年で仲の良かった子がいたおかげか、完全に引きこもる状態ではありませんでした。それが高校入学と同時に離れ離れになり、通っていた高校が合わなかったのか、そこも中退してしまい、最終的に引きこもりになってしまいました。
心因性失声症に
ただの引きこもりであればまだ救いがあったかもしれませんが、母親の糖尿病発覚・入院をきっかけに失声症を患ってしまいました(文字どおり声が出なくなる症状で、心理的ストレスによるダメージや心理的な葛藤等により、声が出てもかすれ声、しわがれたような声になってしまう状態)。さらに精神的に追い込まれ強いストレスがかかると、自傷行為をしてしまうまで悪化してしまいました。
精神障害者認定
失声症になってから、ずっと心療内科に通っています。もう15年くらい経ちますが、未だに症状が改善される兆しはみられません。
母親が足を切断した際も当然強いストレスで、すごく状態が不安定で荒れていたのですが、この時は私も妹にかまっていられなかったので、申し訳なかったですが、一時的に精神科のある病院に入院してもらいました。
現在、妹は精神障害者2級の認定を受けています。障害年金も受給しており、医療費も無料になっています。これらの支援は大変助かるのですが、何とか社会復帰できないだろうか、何とかしてあげたいのですが、身体的な障害と異なり、具体的にこれをすれば良いということがなく、人それぞれ違うので難しいです。
弟のこと
てんかん発症
高校生の頃、学校で泡を吹いて倒れ、病院へ搬送されました。診断の結果、てんかんとのこと。
私は当時就職して実家を離れていたためよく分からないのですが、家でも1回倒れたことがあるらしいです。
計2回発作で倒れましたが、その後は定期的に通院し、薬を服用しているおかげもあり、発作は起きていません。
ただしこの通院と服用はずっと続けなければならず、さらにてんかんがあることにより自動車免許を取得したり更新したりする際には、医師の診断書が必要です。
ニートになる
高校卒業後、弟は土木系の会社に就職しましたが、それが合わず、わずか1か月で辞めてしまいました。正しく書くと「辞めていた」となるでしょうか。母親や妹はその事実を知っていましたが、私や父親には隠しており、その事実が発覚したのは母親が足を切断することになり、私が毎週末帰るようになってからでした。
3年程、騙されていたわけです。そこまで隠し通していた弟の根性にもびっくりでした。
発達障害と障害者認定
仕事を辞めたことを隠していた間も、一応転職活動はしていたそうです。ただ、てんかんの持病があることもあり、なかなかうまく見つからなかったようです。
しかももともと弟は小さいころからちょっと問題児で、勉強ができないのもそうでしたが、自分の意志表現がうまくできず、気に入らないことがあると噛みついたり引っかいたりすることがよくありました。それがわりと小学校高学年くらいまで続いていました。
障害者手帳があれば、その枠で雇用してもらいやすくなると思い、てんかんで手帳をもらえないか病院の先生に話をしてみましたが、発作が落ち着ていいる状態では意見書を書けないと断られました。
昔から弟には発達の遅れが見られたり、おかしいと思っていたところもあり、私から弟に知的障害の診断をしてもらうように申請してみないかと投げかけたところ、本人も了承したので、検査を受けることになりました。
その結果、やはり知的障害があるということが分かりました(状態としては軽度で、20代前半ですが知能的には中学生程度とのことでした)。
そして療育手帳をもらうことになりました。
障害者支援施設から就職へ
手帳取得後、就職活動を支援してもらう目的で障害者の就労支援施設へ通うことになりました。何件か見学に行って、本人が気に入ったところに通うことになりました。
そこでは礼儀作法(履歴書の書き方から面接練習等も)からパソコンのスキルなど、様々なプログラムが組まれていました。決められた時間通うこと、まずそこが第一で、一番難しいところとも施設の人に言われました。
最終的に1年くらい通い、介護用品のレンタルを行っている会社への就職が決まりました。レンタルを行っているといっても、弟が担当している業務はレンタル用品の清掃やメンテナンスらしいです。本人も気に入っているのか、もう1年以上辞めずに仕事を続けられており、とりあえず一安心といったところです。
さいごに
父親はもう70歳過ぎているので、1人でこれらの事実を抱え込み対応することも当然できないわけで、ほぼほぼ私が対応しました。
父親も持病もちで、高血圧、心臓も悪いのですが…。
今文字にして書くと、改めてしみじみしてしまいます。自分頑張ったなと感じます。母親が足を切断した当時はコロナ禍ということもあり、皆が苦しんでいたので、まだ耐えれたのだと思います。皆が楽しそうにしている中だったら、発狂していたかもしれません。
というわけでこれらの問題もありますが、現在はある程度落ち着いてます。ただし基本的には解決していないので、今も月に1回は実家に帰り、色々と細かい仕事をしているというわけです。
他にも色々書きたいことはるのですが、今日はこの辺で。同じような境遇で悩む人の少しでも参考になればと思います。またぼちぼち家族のことも書きたいと思います。
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